
安政4年(1957年)、幕府が中浜万次郎(ジョン万次郎)を函館に派遣して捕鯨の指導。またドイツ(当時プロシヤ)船などから捕鯨を学んだ記録もある。それ以来、函館は捕鯨と関係がはじまった。昭和32年、遠洋捕鯨会社の船長兼捕鯨船の砲手「天野太輔」が殺生の罪深さを痛感し、鯨族供養塔を建てた。83歳の殊勝の所業であった。
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安政4年(1957年)、幕府が中浜万次郎(ジョン万次郎)を函館に派遣して捕鯨の指導。またドイツ(当時プロシヤ)船などから捕鯨を学んだ記録もある。それ以来、函館は捕鯨と関係がはじまった。昭和32年、遠洋捕鯨会社の船長兼捕鯨船の砲手「天野太輔」が殺生の罪深さを痛感し、鯨族供養塔を建てた。83歳の殊勝の所業であった。