元治元年(1864)に江戸から函館へ到着、ハリストス正教会のニコライ主教に日本語を教えるなど海外渡航の機会を伺っていたが、同年6月14日(新暦7月17日)の深夜、福士成豊(日本で最初となる函館測候所の開設者)の助力により、国禁をおかしてアメリカ船ベルリン号に乗り込み密航に成功した。
昭和27年(1952)に、同志社大学から記念碑面が寄贈されたのを機に具体化することとなった。開港94年を祝う港まつり2日目の7月2日、陶製に先だって贈られた木製の記念碑面が相馬倉庫壁面にはめ込まれ除幕式が行われた。
現在のこの碑は、昭和29年(1954)に建てられたもので、「昭和廿七年」と刻まれている旧碑面は台座に移されている。