
箱館を基地としエトロフ島を開発経営して北洋漁業を営み、奉行所松前移転後も本店を大町に屋敷を蓬来町に構えて大船10余・蔵40余をもち大いに箱館の繁栄を築いた。文化元年、幕府が船修理のため箱館地蔵町沖に築島を完成したとき、嘉兵衛の請願で船作業場を設けた。築島に接する奇州を埋め立てた825坪の造船場で船大工と碇鍛冶を築島に住まわせた。北海道造船事始めである。こうして嘉兵衛が得た利益は函館の開発に投入。函館の歴史を語るには欠かせない人物
またゴローイン拘因のとき沈着剛胆よく、日露の間を奔走してその釈放につとめた。文政元年、50歳になった嘉兵衛は、高田屋の経営を弟金兵衛にまかせて、郷里の淡路に帰った。文政10年に隠居してからも、郷里に築港を作るなど、いくたの功績と数々の教訓を残し、59歳でこの世を去った。









