
古くから山背泊の地蔵寺として親しまれてきたお寺
文化年間(1804〜1807)当たりから現在地にあったと伝えられ、本尊は延命地蔵大菩薩で天保10年(1839)の作、極彩色の3m近い木像。石像、石仏が多いが、前庭の有無両縁塔(元治元 1864)が目をひく。この施主が遊女屋25軒と云われ、遊女の供養として建てたものらしいが、遊女の怨念が今の残っていそうな感じがする。寺前に、高清近太夫の墓(万延元860)などもある。
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古くから山背泊の地蔵寺として親しまれてきたお寺
文化年間(1804〜1807)当たりから現在地にあったと伝えられ、本尊は延命地蔵大菩薩で天保10年(1839)の作、極彩色の3m近い木像。石像、石仏が多いが、前庭の有無両縁塔(元治元 1864)が目をひく。この施主が遊女屋25軒と云われ、遊女の供養として建てたものらしいが、遊女の怨念が今の残っていそうな感じがする。寺前に、高清近太夫の墓(万延元860)などもある。