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函館弁天台場跡


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弁天崎には文政以来松前氏が築いた小規模な台場があったが、北辺防備が急となった安政元年(1854)に箱館奉行竹内保徳、堀利熈らが箱館警備に関して台場築造を決議し、予算10万両を以って安政3年(1856)に起工し、7年後の文久3年(1863)竣工。
その形は不等辺六角形で、総面積116.11坪(383.163?)、周囲の高さ33尺(10m)の石垣をもち、土塁2,350尺(780m)、東南端にトンネル式通路をもつアーチ型の入口を備え、砲眼15(60斤砲2.24斤砲13)を備えていた。設計は箱館奉行諸術調所教授武田斐三郎(五稜郭設計者)、工事は松川弁之肋、備前善三郎等が担当した。箱館戦争後、函館府兵函館隊 護衛隊の本営となり、函館砲隊も守備したりしたが、武田斐三郎の設計により海面を埋め立てて築かれた台場で、不等辺六角形の要塞。 この台場も箱館戦争の戦場となり、明治2(1869)年5月に新政府軍の攻撃により守備兵は降伏した。
明治28年(1895)弁天台場地先理立が決定、翌明治29(1896)から解体にかかり4年後の明治32年(1899)にはすっかり姿を消し、一部は函館ドック株式会社敷地となり、港湾改良工事のため解体された。